色々思うところあって、今日は仕事しないでまる一日(気が向けば二日)休むことにして.行っ…

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色々思うところあって、今日は仕事しないでまる一日(気が向けば二日)休むことにして😅💦 . 行ってみたかった #戦跡 を訪れて参拝したり . アチコチで #釣り 🎣してみたり😝 . #ブラブラ することにしました😁👍✨ . . つーことで、まずは、先日も書いた #護郷隊 の #慰霊碑 を参拝してきました。 . こちらは #恩納村 の #安富祖 にある #第二護郷隊 の慰霊碑です。 . . #名護岳 近辺に布陣した第一護郷隊に対して、第二護郷隊は #恩納岳 に陣地を構えて 北上してくるであろう #アメリカ軍 を待ち受けたそうです。 だから、ここ、恩納岳の麓?に慰霊碑があるのでしょうね。 . . いつだったか 某公共放送でやっていた、高江洲義英くん(当時17歳)のお名前もちゃんと石に彫られていて 突き刺さります😭🙏 . . 高江洲義英さんについて、詳しくは、ネットから転載しますので、ご興味のある方は読んでみてください~。 . ーーー以下転載ーーー . 今回射殺が明らかになったのは、県北部、東村高江出身の高江洲義英(たかえす・ぎえい)さん。日本共産党沖縄県委員会の元副委員長、高江洲義一さん(77)の次兄です。 . 軍幹部による射殺を証言したのは同村出身で、当時15歳だった仲泊栄吉さん(86)。6月23日、恩納村の「第2護郷隊の碑」での追悼式に参列した義一さんに打ち明けました。 . 「45年6月2日、私が負傷した隊員を恩納岳のかやぶきの野戦病院に送り届け、隊に戻ろうとしたとき、くぼ地に座っていた義英さんに向けて軍医が拳銃を撃ったが、はず
れ、義英さんがかぶせられていた毛布をはずし、ニヤっと笑った。そばの隊員がすぐに毛布をかぶせ、軍医が2発目を撃った」 . 義一さんにとっては衝撃の証言で、「射殺は兄の前からですか、後ろからですか」と聞くのがやっとでした。 .. 以前から護郷隊について調べてきただけに「やはりそうだったか」という実感もあったといいます。 . 義英さんは、米軍の砲撃による大腿(だいたい)部の負傷が原因で「45年6月1日に戦死」とされていました。同隊にいたいとこが手厚く埋葬、48年に遺骨を収集されていました。しかし当時、いとこは義英さんの父には戦死を伝えていましたが、戦争で末娘、末息子、祖父が死亡していただけに母には告げませんでした。 . 義英さんの「戦死」で、義一さんには消えない記憶があります。 . 「墓前で母は兄の頭蓋骨を両手で抱きしめて、“ああ、義英よ、なんでこんな姿になったのか”、と人目はばかることなく号泣した。納骨を拒む母の半狂乱の姿に、私も大粒の涙を流した」 . 仲泊さんは5日、東村の自宅を訪れた義一さんに「傷病兵は撤退前に懸命に歩行訓練をしていた。歩けなかった傷病兵は義英さんと同じ目にあっていたと思う」と話しました。 . 仲泊さんの手をしっかりと握り、「よくぞ真実を伝えてくださった」と義一さん。こう語りました。 . 「拳銃を握った軍医を責める気はない。殺害は大本営の組織的命令であり、アジア・太平洋での無謀きわまる侵略戦争と沖縄県民を平然と犠牲にした、日本軍の許しがたい戦争遂行責任が本質だ。次兄が望むのは、安倍政権が戦争法案で戦場に若者を再び送りだすことをやめさせることだと思う」 . ーーー転載ここまでーーー . 第二護郷隊の慰霊碑は、那覇方面から58号を北上してくると、左(海側)に #みゆきハマバル と #ローソン が見えるところの小さな川の橋のところに、案内が出ています。 . (最後の写真がそれ) . . これを読んでくださった皆さんも 気が向いたら、通る時にでも、手を合わせに行ってあげましょうね~🙏 . . とてもキレイに整備されているので 管理されている方々にも、ほんっと頭が下がります。。。 . . . #沖縄 #名護 #okinawa #nago #戦跡 #第二次世界大戦 #太平洋戦争 #沖縄線 #WW2 #BattleofOkinawa #RIP #合掌 🙏

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